9月の言葉

みずから悪をなすならば、みずから汚れ
みずから悪をなさないならば、みずから浄まる
浄いのも浄くないのも、各自のことがらである
人は他人を浄めることができない

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』

解説

今月は『法句経』の「自己」という章から聖句を選びました。
これまでに何度か書いてきましたが、本経には自己すなわち心の修養をすべきことが説かれます。なぜなら、仏教では我々人間を欲望にとらわれる存在とみなしているからです。人は普段何も意識せず「心の修養」を怠っていると、心が欲望に侵食され、逆に「心の修養」に勤めていれば、心に余計な感情が起こらないので、乱れることがないと考えていました。
上記の聖句では表現こそ異なりますが、悪いことをなせば、心は汚れて欲望に侵され、その反対に悪をなさない、もっと積極的に言えば、善いことをすると心は浄らかになっていくと示されます。 では、我々は「善いこと」として何をしたらよいのでしょうか。ここでは具体的に書かれていませんが、心を制御(コントロール)するための瞑想・座禅や戒めの遵守などの実践のことだと思われます。現在でもお寺でみなさんが体験・経験できることです。
ただ、この心のあり方は第三者の言動や行動・考えに触発されることはあっても、最終的には各自の心の持ちようになってきます。悪いことは意識せずとも行なうことができますが、善いことは意識しないと実行しづらい側面があります。この点も考慮しながら、みずからの心の浄らかさを保てるよう努力したいものです。