令和6年6月の言葉

この世において如何ともし難い このうずく愛欲を断ったならば

憂いはその人から消え失せる ——水の滴が蓮華から落ちるように

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』

今月は『法句経』の「愛執」という章から聖句を選びました。

「愛執」(taṇhā)という語は、渇いて水を求めるような貪りの心(欲望)を指します。他にも「渇愛」や「愛欲」などとも訳されます。この章には、この「愛執」に言及した詩句がまとめられています。

ただ、この聖句だけを読んだだけで内容を理解するのは少し難しいと思われます。紹介した聖句の前には、二つ詩句があげられていますので、それらから見ていくことにしましょう。

始めの詩では「恣(ほしいまま)のふるまいをする人には愛執が蔓草のようにはびこる」とあります。先月も紹介しましたが、仏教では我々人間を欲望にとらわれる存在とみなします。普段自分の心について何も意識せず、その制御を怠っていると、心は欲望に侵食されていくことがここでも説かれているわけです。続く詩では「この世において執着のもとであるこのうずく愛欲のなすがままである人は、ものもろの憂いが増大する」とあり、欲望(ここでは「愛欲」と表現)に侵食されたままであれば、心に穏やかな状態はおとずれないことが示されます。

改めて今月の聖句を見ていくと、その欲望とはいかんともし難いものでありながらも、絶つことができれば、憂いを消し去って心穏やかな状態がもたらされると説かれているのです。

この聖句は、普段から心を制御しようと自制・実践することの重要性を教えてくれています。