6月の言葉

まだ善の報いが熟しないあいだは 善人でもわざわいに遇うことがある
しかし善の果報が熟したときには 善人は幸福に遇う

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』 より

解説

多くの方は「自業自得」(じごうじとく)という言葉を一度は聞いたことがあると思います。『大辞林』によると、以下のように説明されています。
〘仏〙自分のおこないの結果を自分が受けること。一般には悪い報いを受けることにいう
『大辞林』でも言及されていますが、この言葉は仏教語です。また、違う表現をするならば「善因楽果、悪因苦果」となります。善なる行為(善行)は快なる結果をもたらし、その反対に、悪なる行為(悪行)は不快な結果をもたらす、ということを意味します。いずれの表現でも良いのですが、仏教ではこの「自業自得」の原則を重視しています。
聖句に話を戻すと、上記の教えの前には悪行についても説かれており、「まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う」と記されます。
つまり、ここでは先ほどの「自業自得」の理をもう少し具体的に説いてくれています。善行あるいは悪行による結果(報い)は、必ずしも即時的ではないことを補足しているのです。これは、善行の結果がすぐに出ないからといって、善行をあきらめて悪行に慣れしたしんではいけない。善行を積み重ねていくことの重要さを教えてくれています。我々凡人は行為の結果をすぐに求めがちですが、それに流されずに善行を続けたいものです。