2月の言葉
修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるかわたくしは、
内外の区別なしにことごとく法を説いた
全き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような
教師の握り拳は存在しない
中村元訳『ブッダ最後の旅』より
解説
今月15日は「涅槃会」(ねはんえ)です。これは釈尊が亡くなられたとされる日に行われる法要です。今回は、その「涅槃」にまつわる有名なエピソードを紹介します。
ある時、80歳の釈尊は病にかかります。釈尊はその病からは回復しますが、その釈尊に対して侍者の阿難(アーナンダ)が最後の説法を請いました。それに対して、釈尊が上記のように語りました。
仏教外の宗教においては教えの伝承が限定的・閉鎖的であるのが一般的であったにも拘わらず、釈尊はその常識を打ち破って、自らが覚ったこと(教え)を請う人々みんなへ伝えてきたことをここで阿難へ教えているのです。
釈尊の生涯を通してみると、35歳で覚りを得てから、一度はその教えが難解なため説法することをためらいます。しかし、梵天という神様から説法を求められて以降は、相手の身分や階級を選ぶことなく教えを説きました。それは、釈尊の臨終間際まで続けられます。つまり、先ほど自らが語っていたように、誰にでも説法をし続けていたのです。
もし、釈尊が当時のインドの慣習にしたがって、教えを特定の人のみに伝えていたら、我々まで仏教は来ていなかったかもしれません。我々のような凡夫のために教えを生涯説き続けた釈尊の姿には「慈悲の心」が見て取れると同時に、当時の宗教界の常識にとらわれなかった先進的な考え方に感心するばかりです。