令和7年12月の言葉

欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が

もしも欲望をはたすことが

できなくなるならば、かれは

矢に射られたかのように、悩み苦しむ

中村元訳『ブッダのことば』

今月は『スッタニパータ』「八つの詩句の章」の「欲望」から聖句を選びました。

聖句では「欲望」や「貪欲」などと言葉をかえて表現していますが、あまり難しいことはいわず、「過剰な欲求」「激しい欲望」とでも考えてもらえたら大過ないと思います。

実は引用した聖句には先立つ句があり、「欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまくゆくならば、かれは実に人間の欲するものを得て、心に喜ぶ」と説かれます。この二つの句を併せて考えてみると、人は自らが望んだことがかなえられている間は喜んでいられますが、反対に望みがかなえられなくなると、人は悩み苦しむということになります。

仏典では人間の根源的な煩悩を三つ挙げますが、欲望はそのうちの一つに数えます。自らに適した望みであれば良いのでしょうが、それが「過剰な欲求」となってしまえば、自らを迷わせ囚われてしまうからです。仏教では、そのような感情などを捨てることを説きますが、自分の心であっても実行するのは難しいものです。それでも、心を制御(コントロール)しようとすることで、余計な感情(煩悩)を生じさせず、心乱れない状態を作り出すこと目指します。

自分も含めて、ほとんどの人は欲求に流されて、心が乱れがちになってしまいます。心乱されないためにも、自分を律することを定期的にでもしていきたいものです。