令和7年4月の言葉
生れによって賤しい人となるのではない
生れによってバラモンとなるのでもない
行為によって賤しい人ともなり
行為によってバラモンともなる
中村元訳『ブッダのことば』
今月は『スッタニパータ』「蛇の章」の「賤しい人」から聖句を選びました。
ご存知の方も多いと思いますが、バラモンとはインドのカースト制度最上位に位置する司祭者階級を指します。そして、そのバラモン(司祭者)が執行する宗教がバラモン教です。このバラモン教は、釈尊が仏教教団をつくった頃には、すでに広まっていました。そしてこの宗教では、生れによってその身分(階級)が決まってしまい、その身分はどれだけすばらしい行いがあったとしても変わるものではありません。
しかしながら、釈尊はその固定概念を否定します。釈尊は行為を通じて、その人の心の貴賤を量ろうとしたのです。生まれながらに決まってしまう階級でもって、人を判断しようとしませんでした。
では、その「行為」とは何を意味するのでしょうか。いろいろ言い方があるかもしれませんが、かつて紹介した「身口意の三業」も一つの基準といえるでしょう。「身口意の三業」とは、「身」が身体的行為、「口」が言語的行為(=ことば)、「意」が心に思う働きと説明されるものです。経典では、これら「身口意」による行為を制御すべきことが散説されています。
「身口意」による行動の制御は、自らの心を穏やかにするばかりでなく、他者へ好影響を与えることもあります。現代の我々も肩書きなどではなく、行動をもってその人を判断したいものです。