令和8年5月の言葉

矢作りが矢を矯めるように
自己を直立せしめて
心を真っ直ぐにして
無明を断ち切れ

中村元訳『仏弟子の告白』

今月からは、釈尊の弟子(男性の僧侶)たちが語ったとされる『テーラガーター』というお経から聖句を選んでみようと思います。

さて、ここでは矢作りの職人が登場します。本題に入る前に、みなさんはインドでいつから弓矢が使用されていたと思われるでしょうか。弓矢に関する記述はインド最古の文献といわれる『リグ・ヴェーダ』(紀元前13世紀ごろ)にまで遡ることができるそうです。その後の文献においても、弓矢は非常に有力な武器として位置づけられており、インドにおいては身近な武器だったと言えるかもしれません。

話を本線へ戻しましょう。みなさんもご存知の通り、ほとんどの木(おそらく枝)は真っ直ぐではありません。そのため、矢作り職人は曲がっている木を矯めて形を整える必要があったことが読み取れます。

これまでに何回も書いてきましたが、人間は心の制御を怠ってしまうと、欲望によって心が侵食されていくと仏教では考えます。今月の聖句では、心が欲望に侵食された状態を曲がっている木に喩え、そのような状態を正すためには、矢作り職人のように、自らが心を真っ直ぐにして、無明(苦しみの原因となる根本的な「無知」のこと)を断ち切ることを説いています。おそらく「心を真っ直ぐにする」には、戒律をたもち、修行に励むことが求められていると思われます。