令和6年8月の言葉

あれこれ考えて心が乱れ 愛欲が激しくうずくのに

愛欲を浄らかだと見なす人には 愛執がますます増大する

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』

今月は『法句経』の「愛執」という章から聖句を選びました。

先々月(6月)でも説明しましたが、この「愛執」(taṇhā)という語は、渇いて水を求めるような貪りの心(欲望)を指します。他にも「渇愛」や「愛欲」などとも訳されます。この章には、この「愛執」に言及した詩句がまとめられています。

上の2句では、心に愛欲が生じて乱れていることが見て取れます。さらに下の2句では、そのような心の状況であるにも拘わらず、愛欲を浄らかだと肯定的に捉えてしまう人には、愛執はますます増大するとされます。

ここで注目すべきは、やはり3句目と4句目でしょう。これまでにもくどいぐらいに紹介していますが、仏教では我々人間を欲望にとらわれる存在とみなします。3句目のように愛欲・愛執を肯定的に捉えてしまうと、おそらく心の制御(コントロール)を怠ってしまい、心は欲望にどんどん侵食されていくと考えられます。

適切な欲求・意欲まで否定するわけではなく、その人にとって過剰なる欲求(愛欲や愛執)は意識的に制御(コントロール)していかなくてはならないでしょう。これらに支配されると正しい判断が失われることになりますし、心穏やかな状態がもたらされることはないと思われます。