令和6年7月の言葉

つとめはげむのを楽しめ おのれの心を護れ

自己を難処から救い出せ —泥沼に落ちこんだ象のように

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』

聖句を読んだだけでは意味を理解しにくいので、丁寧に説明していきましょう。

1句目では、「つとめ励む」ことを楽しむよう説かれます。これは古くから「つとめ励む」ことを称え、その一方で「怠りなまける」ことを諌めてきたことと関係しているでしょう。では、「何」をつとめ励み、おのれの心を護れというのでしょうか。それは、おそらく「心の修養」だと考えられます。これまでに何度も書いてきましたが、仏教では人を欲望にとらわれる存在とみなします。そのため、普段心の修養を怠りなまけていると、心が欲望に侵食されていきます。逆に心の修養につとめ励んでいれば、余計な感情が心に起こすことなく「煩悩」から心を護ることができるのです。

ただ、のどの渇きにも喩えられる煩悩から人が抜け出すのは簡単ではありません。どうしても人は煩悩に流されがちになってしまいます。そのため、3句目で煩悩を泥沼のような「難処」と表現しているのです。

では、「心の修養」とは何でしょうか。これも明示されてはいませんが、おそらく瞑想(座禅)や戒めの遵守などの実践を意味するのでしょう。これらの実践を通じて、仏教は心の制御を目指したのです。

ほとんどの人は欲求に流されて、心が乱れがちになります。定期的にでも心の修養を行い、煩悩から心を護りたいものです。