4月の言葉

(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる聡明な人に会ったならば、

その賢い人につき従え

—— 隠してある財宝のありかを告げてくれる人につき従うように

解説

今月は『法句経』の「賢い人」という章から聖句を選びました。
若い時には親や先生、先輩から誤りを指摘してもらえることが多くありました。その時には反発するような気持ちにもなりましたが、今となっては感謝の気持ちしかありません。ただ年齢を重ねてくると、そもそも誤りを指摘されることが少なくなってきました。これが成長できた結果であればいいのですが、ただ周囲から諦めで見捨てられているとしたら、実になさけないことです。
さて、上記の句には続きがあり「そのような人(=賢い人)につき従うならば、善いことがあり、悪いことはない」と記されます。ここで言及される賢者とは「真理に通達した人」、つまり「覚った人(=ブッダ)」を指すと考えられます。
人は正しい智慧を備えていないと善悪の判断を適切に下せないことがあります。年代を問わず、誰にとっても誤りを指摘し正しい道へと導いてくれる人は貴重な存在です。ただし、肩書きのある人が必ずしも正しい知識・智慧を持っているとは限りません。その人の振る舞いや話す内容から、信頼に値する人物かどうかは自分で判断をする必要があります。わたしたちは人を見る目を磨いて賢い人と関係を築き、正しい道を歩むべく努力していかなければなりません。