観音様ってどんな仏様
観音様ははとても沢山のお名前を持っていらっしゃいます。観世音菩薩、観自在菩薩、観世自在菩薩、施無畏大士、光世音等々と呼ばれていますが、皆さんがよくご存知のお名前は観音教と言うお経に出てくる「観世音菩薩」般若心経に出てくる「観自在菩薩」と言う呼び名でしょう。それにもう一つ、観音像の印を説明する時によく言われる「施無畏大士」でしょうか。
ここでこれら観音様の呼び名についてお話ししましょう。
先ず、観自在菩薩と言う呼び名について説明します。私達が観音様を拝む時「南無大慈大悲観世音菩薩」とお称えしますが、これは慈悲行を通して仏様(如来)の位に上ろうとして修業を続けておられますが、この修業の功徳で10自在の力を獲得されています。
その10自在とは1,寿自在、2,心自在、3,財自在、4,業自在、5,生自在、6,勝解自在、7,願自在、8,神力自在、9,智自在、10,法自在の10で、観音様は自分の心を自由自在にコントロールし、世間の在りようを在りのままに観察し判断出来る知恵を持って衆生を導いて下さるところから「観自在菩薩」と呼ばれるように成ったと云われています。
次に、観世音菩薩と言うお名前ですが、先に話しました大慈大悲のお心で私達凡夫を哀れみ、私達が発する救いを声を見、即座に救いの手を差し伸べ、苦厄を救って下さる所から、世の音を観る菩薩、観世音菩薩と呼ばれるようになったを云われています。
次に施無畏大士と云うお名前は観音様の右手の印相からとられた呼び名です。観音様は右手の掌を私達の向けておられますが、この手の印を施無畏の印と呼んでいます。
これは観音様が掌を私達に向けて、怖れ戦きがあればいつでも救ってやるぞ、と示して下さっている処から、怖れ無きを施す菩薩「施無畏大士」と呼ばれるようになりました。
インドではアバロキティソワカと呼ばれ、日本語に直訳すると観世自在菩薩となります。観音様は私達が住むこの娑婆世界に住み、私達凡夫の様々な厄災・不安恐怖を取り除き、幸運を授けて下さいます。
ではどうして観音様はこんなにお優しいのでしょう?。
- 1,観音様は如来(完全な悟りを得た人)になる為に厳しい修業を積んでおられる方です。如来になるには大変長い年月と厳しく辛い様々な修業を必要としますが、そんな修業の中で特に慈悲行を中心に行を積み、慈悲行即ち衆生済度の功徳によって如来の位に到達したい。との請願を立てておられるからです。悲華経に観音様の請願を「私が菩薩の修業をしている間、衆生が私の名前を呼び、助けを求めるならば、天耳・天眼を持ってその衆生の苦しみを救うなり。若しそれが叶わぬ時には、私は決して如来の位に昇らない。」と記されています。
- 2,十一面観音神呪経には観音様の御請願を「観音はお釈迦様に申し上げた。私の心に十一面心呪があります。
- ⓵、総ての衆生を救わんがた為に。
- ⓶、総ての衆生を導き、善行を念じさせんが為に。
- ⓷、一切の衆生の苦厄を取り去らんがために。
- ⓸、一切の病を取り除かんが為に。
- ⓹、一切の厄災、悪夢を取り除かんが為に。
- ⓺、一切の不慮の死を取り除かんが為に。
- ⓻、一切の悪心者の心を除き、悔悟さる為に。
- ⓼、一切の悪鬼、鬼神の厄難を除き、起こらないように。
こうした 観音様の請願によって私達は観音様のお名前をお称えすることによって、多くの災いや悲しみ、不幸を取り去って下さるのです。
観音様のお救いを戴き、お導きを頂戴する私達は観音様お優しいお心に適うよう自分自身の心を磨き、布施行に励んで観音様のお心に少しでも近づくよう努力したいものです。
どうして三十三に変身されるの?






観音経に「もし、観音の名を称える者あれば大火にも焼かれず、大水にも流されず、刀や槍は粉々に折れて傷つかず、一切の恐怖を除き、欲望・執着心を鎮め、求めるものは願いに従って得ることが出来る。」と記し、観音様の救済のお力を説き示し、続いて観音様の救済のお力を「観音様が救済に当たられる時は三十三に身を変え、困っている人の状態に一番相応しい姿に変身して私達を救済して下さる。」と説明されています。 清水寺の御本尊は十一面観音様ですが怒った顔、優しく導くお顔、大きく笑って心を和らげて下さるお顔、危害を加えそうは怖いお顔等々、十一のお顔を頭上に付けておられます。これは私達の周りにあるものは総て観音様の変化されたお姿であって、自分にとって都合の良いものだけが味方ではなく、邪魔をし、害を為すものも又大切な味方であり、自分を導いてくれる教師であることを教えて下さっています。 一般には六観音、又は百観音と言われるように、観音様は様々なお姿に描かれ、刻まれています。 ここでは最も代表的な六観音のお姿を掲載しておきました。