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9月の言葉

2022/08/31 14:36

9月の言葉

ものごとは心にもとづき、心を主とし
心によってつくり出される
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば
福楽はその人につき従う

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より
<解説>
   この教えでは、世界のものごとは、人々の心によって作り出されると説かれています。さらに続けて、清らかな心による行為であれば、その結果である福楽が行為者にもたらされ、それは影がその人のからだから離れないようにつき従うと説明されるのです。
   では、その反対に「汚れた心」による行為はどのように言われるのでしょうか。上記の教えの直前に説明がなされており、汚れた心による行為は、その結果である苦しみが自らについて回ると言います。
   ここから見て取れるのは、ものごとや人の行為というものは、心の有り様によって変わってくるということです。
   例えば、怒りや焦りが渦巻いているときには、普段なら気にも留めない他人の行為やものごとに対して、さらにイライラしてしまうことは誰にでも経験があるのではないでしょうか。そのイライラした心にまかせて何かをしてしまうと、自分にとって不快な結果を招きやすいものです。その逆で心穏やかなときであれば、他人に対しても配慮して行動がとれるので、結果として自分に望ましいことが起きやすいと言えるでしょう。
   常に清らかな心を維持できるように心がけておく必要があることを気付かせてくれる教えです。

8月の言葉

2022/07/27 17:16

8月の言葉

すべて悪しきことをなさず
善いことを行い
自己の心を浄めること
これが諸の仏の教えである

中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より
<解説>
   ご存知かもしれませんが、日本の仏教諸宗派すべてが重視する経典は無いに等しいと言っても過言ではありません。しかし、それでも諸宗派に共通する教えは何かと問われれば、今月あげている『法句経(ダンマパダ)』の一句になろうかと思います。
   「悪いことをせず、善いことをして、心を悪に染めないで浄らかにする」という、非常にシンプルとも言える教えです。ここで「悪いこと」や「善いこと」とは何かが問題となりますが、紙幅の関係上、「善いこと」を説明しましょう。
   在家・出家において程度の差こそあれ、仏教徒が守るべき基本的な戒めとして、「五戒(ごかい)」があります。その五つとは以下の通りです。
   ⒈生きものを殺さないこと
   ⒉盗みをしないこと
   ⒊性に関して乱れないこと
   ⒋嘘をつかないこと
   ⒌酒を飲まないこと
   戒めを守ることは、財産や人間関係、そして品性ある生活に役立つとされるばかりか、普段からの怒りや嫉妬などからも距離をとることができ、心穏やかな生活を送れると説かれます。
   最近の報道でも、これら五戒から逸脱する行為がたびたび見受けられます。報道での事件に限らず、五戒を守れないことにより、さまざまな人生の場面で悪影響がでてくることは容易に想像がつくと思います。
   いま改めて、生活の基本に五戒を据えてみてはいかがでしょうか。

7月の言葉

2022/06/30 16:02

7月の言葉

完き人の教えには
何ものかを弟子に隠すような
教師の握り拳は存在しない

中村元訳『ブッダ最後の旅』より
<解説>
   今月1日付けで第7代貫主を拝命した善曉と申します。拙寺興隆のため尽力してまいりますので、何卒倍旧のご支援を賜りますようお願い申し上げます。
   さて、初めての「今月のことば」となりますが、釈尊の最晩年について描かれた『涅槃経』から選びました。
   ある時、釈尊は病にかかってしまいます。その後、その病から回復しますが、釈尊に対して侍者の阿難が最後の説法を請います。「今月のことば」は、釈尊が阿難へ説かれた一部です。
   釈尊は「自分は自らの教えを誰にでも、隠すことなく説いてきた」ということを語っています。つまり「教師の握り拳」とは、師匠が教えを握り拳の中に秘めて人に伝えないことを意味します。
   当時の仏教を除いた諸宗教においては、特定の人間にしか教えを伝えない方が普通でした。インドでは教えの伝承が限定的・閉鎖的であるのが一般的であったにも拘わらず、釈尊はその常識を打ち破り、自らが覚ったこと(教え)を請う人々へ伝えてきたのです。
   釈尊の「慈悲の心」により、その教えがインドから中国・韓国を経て日本にまで伝えられてきました。お寺の基本は、仏(ほとけ)の教えを説くところ・聞くところであると信じています。これからもこの基本から外れることなく取り組んで参りますので、よろしくお願いいたします。

6月の言葉

2022/05/29 17:11

6月の言葉

人は信仰によって激流を渡り
精進によって海を渡る
勤勉によって苦しみを捨て
智慧によって清らかとなる

ブッダの言葉より
<解説>
   人生は「七転び八起き」、この世は「四苦八苦」と言われるように「幸せ」は束の間、直ぐに苦しみや悲しみが襲ってくる。
   若い時の苦悩は努力で切り開くことが出来るが、徐々に努力だけでは苦悶を取り除くことが出来なくなってくる。如何してもその困窮に耐える「勇気」と「安心感」を心に与えてくれるものが必要である。
   その難問に答えてくれるものが「信仰」であり、信仰は何ものにも動じぬ心の平安と勇気を与えてくれる。
   お釈迦さまはこのことを「信仰によって激流を渡る」と表現して信仰を持つことの功徳の大きさを示してくださっている。
   愚僧自身も観音信仰のお陰で75歳の今日まで何とか激流を渡ってくることが出来た。
   信仰によって奇跡が起きるとは言わないが、結果として奇跡が起きたのかと思える不思議な功徳を何度か経験した。そしてそうした経験の積み重ねの中で、切羽詰まった時「観音様にお願いすれば何とかして頂ける」との確信のようなものが生まれ、取り乱す事なく難題に対処する事が出来、結果として大難を小難で逃れることが出来て来た。
   心とは不思議なもので、恐怖感や不安感に囚われるとすべてのことに狼狽し、しなくても良い失敗を繰り返し、益々不幸を呼び込んでしまう。その反面、心が冷静で安心感を持ち続けていると、不思議に苦境を脱出する智慧が湧き、深みに陥らずに脱出することが出来る。
   信仰とは御仏の功徳を信じること。そして信じれば救われる、と古来から言い伝えられるように正に信仰の力は絶大である。
   益々信仰を深め、平安な日々を是非獲得して頂きたい。

5月の言葉

2022/04/29 17:21

5月の言葉

尊敬と謙譲と満足と感謝と
[適当な]時に教えを聞くこと
これがこよなき幸せである。

ブッダの言葉
 山陰中央新報社発刊「中村元慈しみの心」より
<解説>
 
   昨年の11月に本山で住職勤続50年の表彰を頂いた。思い返せば昭和45年の11月、師匠である貫主が壊疽の為寝たきりになり、代務を努めるため副住職を拝命したのが始まりであった。
   大学を出たばかりで右も左も解らぬ小僧が、壁に突き当たり、道に迷いながらの50年であった。
   その間、周囲に生意気な発言をし、不遜な態度をとった事は一度や2度では無かったと思うが、若いからとお許し頂き、根気よくご指導頂いた多くの諸先輩に只々感謝するのみである。
   生意気盛りの時、当時の天台座主山田恵諦猊下から「僧侶は三界の大導師と言われ、人を人と思わぬ僧が居るが、私は僧侶とは信徒の幸せを願い、その為に働く下僕である、と思っている。自分が偉いと思い違いしているから、意のままにならぬことに腹を立て、苛つくのであり、不満を抱えて他者を批判したくなるのだ。己の至らなさを確りと自覚せよ。他者の優れた面をじっくりと観察せよ。そうしたら自然に謙虚な心が育まれ、感謝の気持ちが湧いてくる筈だ。」と諭されたことがあった。
   最初は中々その様な気持ちになれなかったが、堂舎の修理を重ねる毎に力を貸してくださる方々・支えて下さる方々の生活、態度やお気持ちを知るにつれ、自然に尊敬と謙譲の心が芽生え、頭を下げることが出来るようになった。
   今思えば尊敬と感謝と謙譲の心を育むことが出来たことが、曲がりなりにも清水寺の貫主を勤め上げることが出来た最大の要因だと思っている。    今頭を下げることが出来ない人が増えている。是非今月の言葉を噛み締めてほしい。

4月の言葉

2022/03/31 13:01

4月の言葉

欲望は楽しみ少なく
苦しみ多く悩み多し
しかし、欲望以外に
楽しみ見出せず。

ゴータマ・ブッダ上(中村元著)より
<解説>
 
   今月の言葉はお釈迦様が後年シャカ族のマハーナーマに述懐された時の言葉だそうです。
   お釈迦さまは今月の言葉に続いて、しかし、私はついに欲望を超えるものを見出した。『もはや私は「欲望は楽しみ少ないものであり、苦しみ多く、悩み多く、そこには災い甚だしい」ことを正しい知恵によって見出した。しかも、欲望以外のところに、悪の事柄以外のところに、喜び楽しみを体験し、それよりも更に到着した。』と。
   当に人間釈迦の生の声を聞いたように思います。仏となられえたお釈迦さまも悟りを得られるまでは「欲望が私たちに不幸を招いていることは朧げに理解できていたが、然りとて欲望や悪事以外から喜びや満足を得ることが出来なかった。しかし、菩提樹の下で瞑想に入り、自分の心の中にある欲望や悪心、心の動きを深く観察していたら、欲望や悪心以外から喜びや楽しみを見出せることに気づき、欲望や誘惑に魅せられない自分を作り上げることが出来た。」と言い切られているのです。
   この悪心や欲望からの誘惑に完全に打ち勝った人を私達は「もつれた糸を解ける人、仏」と呼んでいるのです。
   今から2600年余前、現在のネパールでお生まれになったお釈迦様だけではなく、お釈迦さまのように心の誘惑に打ち勝った人は皆仏であり、この世に生を受けた人は誰でも仏になれるのです。
   私も皆さんも共に仏になれるようお釈迦さまの御教えを学び、心の誘惑に勝てるように精進致しましょう。

3月の言葉

2022/02/27 17:14

3月の言葉

喉の渇いた修行者に
村の娘は施した
水のおかげで今ここに
汲めども尽きぬ水を得た

スリランカの寓話より
<解説>
 
   スリランカのある村で、町中の人総出で豆の収穫作業をしていた。そこへ1人の修行者が水を求めてやってきた。この修行者の苦しそうな姿を見た1人の少女は気の毒に思い、収穫作業をしている人達が用意していた「水」を村人の許可も無く与えてしまった。
   休憩に入り水を飲もうとした村人達は水は少なくなっているのに気づき「誰が勝手に飲んだ」と騒ぎになった。すると先ほどの少女が「私が修行者に施しました。」と云うと、人々は口々にそれは奇特な事だが私達も喉がカラカラなので私達にも喉を潤す水を持って来てくれ、と詰め寄った。
   少女は自分が施した水のことを思いながら一心に畑っを見つめ、水の恵みを祈った。そうすると不思議なことに畑から大量の水が噴き出したので少女はその水を汲みに行き、自分自身も行水をしながら、清く美味しい水を瓶に汲み、村人の所に届けた。
   この水を飲んだ村人達は余りの美味しさに、再度の水汲みを求めたが娘は直ぐに水を汲んできた。辺りに湧水が見えない事を不審に思い、水の湧き場を尋ねると、少女が指差す所に湧水を誰も見ることが出来なかった。
   村人の求めに応じ、湧水が誰にも見えるようにと又一心に祈ると、不思議な事に誰の目にも見えるようになり、村人達はその不思議に感激し、その後は誰もが水の施しを積極的に行うようになり、その村は大きな町になっていつ迄も栄えたと伝えられている。
   修行僧に水を布施した少女はその後も善行を積み、天界に生まれ変わり、美しい庭のある宮殿で幸せに暮らしたとのこと。

2月の言葉

2022/01/29 18:25

2月の言葉

衰亡をきたさ無い為の
七つの法を説く
よく聞き
心にとどめなさい

ブッダ最後の旅(遊行経)より
<解説>
 
   お釈迦様は死を迎える準備のため、故郷への帰り支度をしておられる時、阿南尊者に近くにいる弟子を全員集めるように指示され「衰亡しないための7つの教え」をお説きになりました。その7つの教えとは
⒈ 未来の世を繁栄を信ずる心を持ち続けること。
⒉ ともすれば弱音を吐き、人を恨み、物事に執着する心を恥ずかしく思う心を持ち続けること。
⒊ 日頃の自分自身の言動が道理に反していないかを常に反省する心を失わないこと。
⒋ 広い知識を求め、よく見聞を広めること。
⒌ 目標を達成するために精一杯努力し、怠け心を常に戒め続けること。
⒍ 常に心の安定を意識し、心の乱れを押さえる事に腐心せよ。
⒎ 社会を見渡し、世の流れを的確に掴む知惠を育むこと。
と説き、この7つの法を身につければ末永く繁栄する事が出来ると示されたのです。でも繁栄の7つの法を身につけることは簡単なことではありません。
   しかし、お釈迦様の教えをよく学び、貪(欲望)瞋(怒り)痴(無知)と言われる三毒を確りと自覚し、仏様のご加護を願いながら日々生活するならば、知らず知らずの内にこの7つの法を会得して、意識しなくても繁栄の7つの法を持って生活できるようになると教えて下さっています。
   令和4年は是非この7つの法を身につけて幸せな1年をお過ごし下さい。

正月の言葉

2021/12/25 15:01

正月の言葉

他人の言葉を吟味する
知恵も持たずに簡単に
信ずる者は友達も
すぐに離れてしまうだろう

ジャータカ物語より
<解説>
 
   新年のお慶びを申し上げます。寅年となりましたが皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
   さて、お釈迦様の前世物語「ジャータカ物語」に「仲の良い虎とライオン」と言う寓話があります。
   その寓話では大の仲良しである虎とライオンを仲違いさせようと考えた山犬はライオンとトラの処に行って、相手の悪口をいいふらしました。この悪口を聞いたライオンは「俺は親友のトラを信じるから、二人の間を離間させるようなことを言うな。今度来たら噛み殺すぞ。」と叱りました。一方山犬からライオンの悪行を聞いたトラは半信半疑でライオンの処へやって来て、「ライオン君、君は山犬が言うように本当に私を貶(けな)し、私を一撃で倒せると言ったのか?」と尋ねました。
   ライオンはその質問に「山犬は私の処へもやって来て、今君が言ったと同じ事を私に話してきた。私は君がそんなことを言うはずがないと信じているので、二度と来るなと叱っておいた。」と答え、続けて「勝手気ままで、だらしなく、友を疑い欠点を、探す輩(やから)は友じゃない 僅(わず)かな疑問も挟まずに、母に抱かれてすやすやと、眠る子どもの無心さは、壊すことなどできぬもの。そんな友こそ本当の友と呼ぶのに値する。」と話し、「後は君の判断に任せるよ。」と話したと言う物語です。
   貴方はどのような判断を下しますか。真の友を失わないようにしたいものです。