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12月の言葉

2019/12/01 12:00

12月の言葉

十二月の言葉
仏も昔は人なりき 我らも終には仏なり
三身仏性具せる身と
知らざりけるこそ哀れなれ
梁塵秘抄より
<解説>

  梁塵秘抄とはご存知のように、平安時代末期に編まれた歌謡集で今様歌謡を集めたもの。 編者は有名な後白河法皇で治承年間(1180年前後)の作と言われています。
 今月の言葉はこの歌謡集に収録されている歌で、正に「山川草木悉皆仏性」と言う法華経の教えを読んだものとされているのです。
 妙法蓮華経(略して法華経と呼ぶ)28品の中、第2方便品に「声聞若しくは菩薩、我が所説の法を聞くこと乃至し一偈に於いてもせば、皆成仏せんこと疑い無し」と記し「一切の人には仏性が宿っており、全ての人が平等に仏になれる。」のと説かれているのです。
 この法華経の教えを受け、天台宗では一切衆生即身成仏と言い、仏と凡夫は本来何処にも異なるところはない。だから心を仏と同じにすれば凡夫のままで仏に成れる、と説くのです。
 今月の言葉はこの天台宗の教えを受けて『仏さまも昔は私たちと同じ煩悩にまみれた凡夫だった。私も最後には仏に成れるのだ。三身(法身、報身、応身)の何れかに成れる「仏性」を備えている事を知らずに、愚かな生き方をしている人の何と可哀想なことよ。』と世の乱れを嘆いた歌です。
 これは平安末期だけの事では有りません。令和の現在も自分が仏になる種を宿す尊い身だという事を知らずに、己自身を粗末にし、自らを不幸の沼に沈めている人が何と多いことか。  私たち観音様を信仰し、仏性の存在を信じるものは己を粗末にしている人を見たら「貴方には『仏性』が宿っています。自分を大切にして『仏性』を磨いて幸せになりましょう。」と声をかけてあげましょう。

11月の言葉

2019/11/01 12:00

11月の言葉

十一月の言葉
見ずや、漿水の一鉢もまた十号に
供じて自ら老婆生前の妙徳を得
菴羅の半果も、また一寺に捨して
最後の大善根を萌、記別を授かり
典座教訓より
<解説>

 近年は食事を造るのは女性の役割との観念が薄れ、男性が積極的に料理に挑戦するようになってきた。今日では女性よりも男性の料理のほうが上手だとの声が専らである。その男性料理の一つの先例が禅道場における典座僧(精進料理造りを禅の修行としている僧)であろう。
 道元禅師が禅の修行を始められた時は典座僧は修行僧達から軽く見られ、禅師自身もそう感じておられた。しかし、中国に留学し、何人かの典座僧に出会い、彼らの料理に対する直向きな姿に接するうちに、典座に対する偏見はなくなり、彼らの考え方、思いを聞くにつけ、典座は立派な禅の修行であることに気づかれた。
 日本に帰国後、その事を書き記されたのが道元禅師の「典座教訓」である。
 この典座教訓にこんな話が記されている。
 修行僧に差し上げる食事を整える心構えてしては、食材が上等か粗末かを問題にせず、真心を込め、尊重する気持ちを持つことが大切である。このようなエピソードがある。
 お釈迦様に供養するものがない老婆は米の研ぎ汁を一杯の茶碗に注いで差し出したところ、お釈迦様は「量や質ではなく、真心のこもった食べ物が1番のご馳走だ。」とおっしゃって、老婆の功徳を褒め称え、大きな福徳を授けられた。という故事がある。また、またアショカ王は死の直前、手元に残っていた半かけらのマンゴーを鶏園寺に寄進した事をお釈迦様がお知りになり、王に成仏を約束された。と。
 この教えは、今日グルメに翻弄され、手を抜く事に頭を使う今日の私たちへの警鐘ではないでしようか。

10月の言葉

2019/10/01 12:00

10月の言葉

十月の言葉
仏法には2種の健児あり
1に自ら諸悪をつくらない者
2に後からよく懺悔する者は
罪性の無性を観察せよ
天台小止観より
<解説>

 中国天台宗をお開きになった天台大師智顗はその著、天台小止観の中で「仏の戒律を受けた者で1つには自分から諸々の悪行に近づかない者。2つには知らず知らずに諸々の悪行に近づき、知らず知らずのうちに戒律を破り、罪を作るも、直ぐに後悔して反省する2種類の者がいる。
 この2週類の内、すぐ反省懺悔するものは罪性の無性を知って置かなければ為らない。」と解いておられる。
 罪性の無性を知れとは平たく言うと、罪には善悪の隔たりが無く、今日善だと思っていても明日には悪となる事があり、私にとって善と思えることも隣人には悪としか捉えられない事が常に起こるのだ。だから懺悔するときにはこの事に留意し、善悪の判断に固執しすぎてはなら。と教えているのです。
 例えば、先月の台風15号でコルフ練習場のネットが倒れ、沢山の民家に大きな被害がもたらされたと報道されました。ゴルフ場側に法律上の罪は無いにしても、壊された家の所有者達にとっては大きな迷惑で、補償しないのは社会正義にもとる、と怒りが収まらないでしょう。
 私たちは家族と、隣人と、職場の仲間と争わずに気持ちよく付き合って行くためには、善悪に絶対の判断基準がなく、人が異なれば、時代が異なれば当然、善悪・正邪の判断基準がが異なることを自覚し、自分の判断に執着しすぎないことを常に自覚していたいものです。

9月の言葉

2019/09/01 12:00

9月の言葉

九月の言葉
ウズラよ 私は子供を殺す
弱いお前に何が出来よう
弱いものがどれほど居ようと
私は左足で蹴散らすだけだ
ジャータカ物語「ウズラの敵討ち」より
<解説>

 象が通った後の大きな足跡にウズラが巣を作り、沢山の卵を産みつけた。その卵が孵化し、子供たちが飛び立つ準備をしている時に、一匹の象が勢いよくやって来た。この象を見た親ウズラはすぐに飛び立って象の前に立ち、両の翼を合せて、この先の窪地に雛がおります。どうぞその窪地を避けてお通り下さい。と必死に頼みました。しかし、象はその願いを聞き入れず、今月の言葉のような暴言を吐き、本当に孵化したばかりの雛を踏み潰してしまった。
 この暴挙に悲しみ、怒った親ウズラは仇討ちを誓い、知恵を巡らし、先ずカラスの下に行き3日間奉仕をして、憎い象の両目をクチバシで潰すように頼んだ。次には青バエの所に行き、目を潰された象の両眼に卵を植え付ける様に頼んだ。最後にカエルの所に行き、同じ様に奉仕した後、目を潰され、青バエに目を喰い千切られて痛がり、水を求めて歩き回る像を見たら、山の上で泣き、象が山に登ってきたら崖っぷちでもう一度泣いてください、と頼んだ。
 カラスに両眼を潰され、おまけにその両眼を青バエに食い千切られた象は眼は見えず、青バエに食われた痛さのために水を求めてウロつき始めた。それを見たカエルは、先ずは山頂で泣いて象を山におびき寄せ、次は崖っぷちで鳴いて象を崖から落として殺してしまった。
 これを見たウズラの親は力のない者でも強者を遣っ付ける事が出来るのだと、と喜びの声を上げ、復讐を果たした事を喜んだ。というお話です。
 近年弱い者虐めが度を越す様になりましたが、一寸の虫にも五分の魂という言葉があります。強ければ強いほど弱者を慰る慈悲心を持ちたいものです。

8月の言葉

2019/08/01 12:00

8月の言葉

八月の言葉
汝ら衆生は まさに
この不可思議の功徳を称賛し
一切の諸仏に護念せらるる
経を信ずべし
阿弥陀経より
<解説>

 私たちの命は儚く、確かな寿命というものがありません。そのため、親の有り難みを忘れ、ともすれば我儘一杯に過ごしていても、死を感じると、誰もが極楽往生したいと願います。
 そんな私たち凡夫に、お釈迦様は「阿弥陀経」というお経をお説きになりました。そして「この経について解説されるのを聞き、その教えを心にしっかりと保ち、1日、もしくは2日、もしくは3日、もしくは4日と一心不乱に阿弥陀の名を唱えるならば、その人は命が終わるときに、阿弥陀仏が諸々の聖衆と共に現前に現れられる。その人はそのお陰で命終わるとき、心が取り乱すことなく、阿弥陀如来の浄土、極楽に往生する事が出来る。」説き明かして下さっています。
 更に「日月燈明仏、名聞光仏、光明仏(観音様が完全な悟りを開かれ、仏となられた時のお名前)達は遍く三千世界を広く長い舌で覆い、誠実な心で『汝ら衆生は、まさに、阿弥陀経に説かれる不可思議な功徳を称賛しなさい。そうすれば一切の諸仏から護られる。』と解き、このお経を話を信じ、阿弥陀仏を念じなさい。」と勧めて下さっているのです。
 また「舎利弗よ、凡夫が既に発願し、今発願し、まさに発願して、阿弥陀様の浄土に生まれたいと願うならば、この人たちは皆、悟りの道に入り、その道から逸れる事なし。そして、その念仏の功徳で、極楽浄土に既に往生し、今往生し、まさに往生せんとしている。故に阿弥陀経を信じるものは、極楽浄土に往生したい、との心を強く起こしなさい。それらの者は必ず往生する事が出来る。」と説かれています。

7月の言葉

2019/07/01 12:00

7月の言葉

七月の言葉
一心に十指を交え
専心に一つの如来に帰し
口に南無仏を唱えれば
この功徳の福を最上とす
往生要集 念仏の功徳より
<解説>

 往生要集とは比叡山で修行をされ、日本で初めて念仏の功徳を説かれた恵心僧都源信が、お釈迦さまの説かれたお経から、念仏の功徳や地獄極楽の資料を集めて著された書物です。
 その書物の中で「一心に合掌し、一人の仏様に全てをお任せすることを約束し、口に南無阿弥陀仏とか南無観世音菩薩若しくは南無釈迦牟尼如来と唱えれば、この念仏の功徳が最上の福である。」と解き明かされたものです。
 私達はこの世で、死後の世で幸せを得たいと願がってはいますが、その為の厳しい修行をせよと言われると、「そこまでしなくても」と一歩引いてしまします。
 そんな凡人にでも出来る修行、凡夫のままで幸せになり、極楽往生する方法として「専心念仏—懸命に仏様のお名前を口に唱える事」を明かし、勧めてくださったのです。
 また、法華経と言うお経は「凡夫と仏には大きな差はない」と説き、清らかな心・温かな心を持った時が仏であり、嫉妬や怒り・貪りの心を持った時が凡夫なので、常に清らかな心を持つように努力すれば自然に仏になれるのだ。と解き明かしています。
 幸せになりたい、死後、極楽往生を願う方は是非一心に仏様に合掌し、観音様のお名前をお唱えしましょう。
 合掌・念仏の功徳で心を清浄にし、仏となって最高の福徳を手に入れてください。

6月の言葉

2019/06/01 12:00

6月の言葉

六月の言葉
勤め苦しんで、少しの物を手に入れて
それを全て修行者の集まりに布施し
怒る女房に「福を生じる田地に
種を植えてきた」
大智度論「布施による福」より
<解説>

 こんなお経があります。「一人の画師がおりました。隣の国の王の求めで12年間の長きにわたり絵を描き、30両の大金を手にし、家族が待つ国に帰ろうと旅をしていると、沢山の出家者の集まりに出くわした。画師は世話役に食事をどうしているのかと尋ねると、資金が乏しく困っているとのことだったので熱心な仏教徒である彼は持っていた30両の大金を僧侶の集団に布施し、良い心になって家に帰ってきた。女房は12年ぶりに帰ってきた主人に獲得した労賃を渡すように要求すると、画師は修行者の集まりに全額布施して来たと、答えたので立腹し、代官所に突き出し、罰するように訴えた。代官が画師に理由を尋ねると『私は前世で功徳を施さず、その為この世は貧しく困窮している。この世で福徳を植える好機に巡り会えたので全てを布施しました。これで我が家は次の世では福田に恵まれるでしょう』と話した。この話を聴いていた代官は『良い事をされた、この善の種は必ず後にあなたたち家族に大きな福をもたらすでしょう。』と褒め称え、自分が身につけていた宝石と名馬一頭と少しばかりの領地を与え、布施の功徳とはこのように大きなものだと、女房を諭した。」と物語っています。
 「己を忘れ他を利するは国の宝なり。」と言う言葉がありますが布施の功徳はこのお経のように大変大きいのだと知っておきたいものです。

5月の言葉

2019/05/01 12:00

5月の言葉

五月の言葉
この筏は私をこの岸に渡してくれた
大変役に立った筏である
だからこの筏を捨てることなく
肩に担いで持って行こう
パーリ中部経典より
<解説>

 令和元年を迎えました。この新しい時代を私たちは如何様に考え、暮らしていけば「平和で、平安な」社会を作ることが出来るのでしょうか。
 平成の30年間は残念ながら災害の多い時代でした。しかも、日本社会は停滞し、一流国から2流国に落ちる瀬戸際にいると言っても過言ではないような状態です。
 例えば日本のお家芸であった家電業界はその勢いをなくし、台湾や中国・韓国の後塵を拝しています。教育の分野でも、今まで後進国だと侮っていた国の大学が今では日本の大学より国際評価の高い国が続出し、我が国が誇る東京大学ですら、世界でやっと49番目の評価しか受けられないのが現状です。
 何が原因だったのか、正直よくわかりませんが、一つ言えることは昭和の時代の成功体験を捨てることができなかったのが一つの原因であったことは確かなのでは。
 お釈迦さまはどんなに役立った筏でも、肩に担いで旅をするとその筏のために体力を奪われ、新しい荷を背負えなくなってしまう。「正しいことでさえ執着すべきではなく、捨て離れなくてはならない。」と教えてくださっています。
 私たちは新しい時代を迎えた今こそ、何を護り、ないを捨て、何に執着してはならないのかを見極め、生き生きとし、しかも平安で平和な令和の時代を築き上げたいものです。

4月の言葉

2019/04/01 12:00

4月の言葉

四月の言葉
良く菩薩の道を歩み
世間の法に汚されず
地面より湧出した
汚水に汚されないように
従地湧出品より
<解説>

 お釈迦様のお誕生を祝福する4月「花祭り」を早くも迎えました。花祭りには誕生仏を安置し、その屋根は季節の花で飾りつけます、昔は蓮華が多かったのですが今は海外産の品種が多くなりましたね。
 さて、お悟りになったお釈迦様の「覚り」はどの様なものなのでしょうか? 答えは一つではなく、無数にあるのだと思いますがその一つは「蓮の花の様になりなさい。」と言う教えだと思います。
 法華経の従地湧出品に、「菩薩の道を必死に学び、ハスの花の様に世間の汚れた風潮に染まらず、清く、正しく立ち向かう心」を獲得しなさい、と解き明かされています。この心は仏様のお悟りの一部ではありますが、とても大切な部分です。
 私たち凡夫は「自分への愛」のために様々な欲望を起こし、執着し、怒り、妬み、慢心の心を起こします。そしてこの心が周囲の人の心や身体を傷つけ、自分自身の心を縛りつけて悲しみ、苦しみ、不幸を招いているのです。
 お釈迦様は「忘己利他(自分の為に求めるのではなく、他に与えること)」すなわち布施の行によって蓮の花の心を得る事が出来る、と解き明かして下さいました。
 私たちが信仰する観音様はこの布施行によって仏になろう(仏の悟りを獲得しよう)と修行を続けられる菩薩です。だから観音様は何時でも私たちの苦しみを取り除いて下さるのです。
 4月8日にはお釈迦様の御教えを感謝し、誕生仏に甘茶をかけ、観音様のように布施行に励むことをお誓い致しましょう。

3月の言葉

2019/03/01 12:00

3月の言葉

三月の言葉
罪は欲望から生じ
苦しみは欲望から生じる
欲望を制することによって
罪は制せられる
サンユッタ・ニカーヤより
<解説>

 近年、想像もできないような犯罪が起こっています。特に虐待によって小さな子供が傷付けられ、殺されてしまう事件を聞くと、何故実の子にそんなことが出来るのだろう? 自分のお腹を痛めて産んだ子供が虐待されているのに、何故見て見ぬ振りをしたり、一緒になって暴力を振るうのか、虐待する両親の気持ちが理解できません。また、高速道路上で些細な原因で心をいきり立たせ、あおり運転の末に事故を起こし、殺人を犯してしまう人の気持ちがどうしても理解できません。
 ただそれらの事件を起こす人達の心の動きを推測することは可能です。人間の心は欲望を阻まれた時、誇りや自尊心を傷付けられた時、自分で自分の心をコントロール出来ぬ強い憤りや妬み、怒りが込上げ、無自覚のうちに行動に走ってしまうことがありがちです。
 自分の欲求を満足させるために、苛立ちを解消するために罪を犯してしまうのでしょう。恐らく冷静になると自分の行動を恥じ、後悔しているのだとは思いますが。
 自分の思い、願いとは反対の行動に走りがちな私たち凡夫は、お釈迦様が教え、説き示してくださっているように「欲望に囚われてはいけない、怒りに囚われてはいけない、慢心してはならない。」と常に己の心に言い聞かせ、罪を作り出さないために、苦しみを引き寄せないために御経を読み、念仏を唱え、座禅をして心を清浄に保つ稽古をし続けたいものです。

2月の言葉

2019/02/01 12:00

2月の言葉

二月の言葉
ジャッカル君、力を貸してくれませんか
私は泥の中に落ちて動けないのです
助けてくれたら必ず貴方を大切にします
絶対に約束は守ります、助けて下さい
ライオンとジャッカル(ジャータカ)より
<解説>

湖の畔で、鹿を見つけたライオンはしめたと思い、一気にその鹿に飛びかかったが、避けられ、柔らかな泥の中にズボッと4本の足をつっこんでしまった。自分の重さの為に身動き出来ず、10日程立ち尽くし、死を覚悟し始めていた。そんな時にジャッカルが通りかかったので、ライオンは必死で助けを乞い、助けてくれたらジャッカルを大切にすると約束した。
ライオンは約束した通り「自分の家は君の家族が住んでも困らない程広いし、君も私と一緒に暮らしていたら危険も少ないので一緒に暮らしませんか? 」と誘い、ライオンの家族とジャッカルの家族が中睦ましく暮らし始めた。
何年かするとライオンの妻の心に「私達ライオンがジャッカル如きに何故に敬意を払わなければならないの?との疑念が湧き、ある日、ついにライオンの妻と子供たちはジャッカルの家族に罵声を浴びせ、出ていくようにと脅しつけた。
恐怖を感じたジャッカル親子はライオンの家を出て行こうとしたが、ライオンがそれを引き止め、自分の家族に、丁寧に、何故にこのジャッカル親子を大切にしなければならないのか、自分がジャッカルにどれ程感謝しているかを話した。ライオンの話を聞いた家族は涙を流し、自分達の行為を恥じ、それからは長く長く睦ましく暮らした。
と云う寓話があります。私達は夫婦でも、親子でも、互いの気持ちを推測する事はできません。このライオンの家族のような過ちを起こさない為にも、互いに丁寧に自分の気持ちを伝い会いましょう。

正月の言葉

2019/01/01 12:00

正月の言葉

正月の言葉
如来は時代の堕落の際に出現する
あるいは人々が堕落した際に
あるいは悪徳が栄える際に
あるいは邪見が横行する際に
法華経方便品より
<解説>

 平成30年の文字として「災」という漢字が選ばれたれたことからもわかるように、昨年は自然災害の多い年でした。それと同じく人々の心にも悪魔が入り込み、あまりにも残酷・理不尽と思える事件が頻発しました。又政治・経済の世界でも自分だけが、自社だけが、自国だけが得をすれば善いとの邪見が大きくクローズアップされ、その邪見を支持する愚者の増加が社会不安を掻き立てました。
 今年もこの邪見・堕落が横行し、厳しい社会になるだろうと予想されています。それでも今年は元号が変わる事もあり、新鮮な風を吹かして、心豊かな年にしたいものです。
 中国に「亥微陽を起こす」と言う故事があります。「亥の年はほのかな光が差し込む。」という意味で、亥年を迎えた今年は、この中国の故事を現実のものとすべく、温かい社会をつくる為に互いに出来る努力をしようではありませんか。
 その為には如来様に出現して頂く事が最善だとは思いますが、如来様の出現を願う前に、如来様の御教えを学び、その御教えを守って一日一日を誠実に、慎ましく、思慮深く生活して行きたいと願っています。
 御教えに沿った堅実な営みを続ければ、私たち皆が願うように仏様が出現され、至福の世界にお導き戴けると信じております。
 私たちの精進で、微かでも温かい陽が差し込む一年にして行きましょう。