4月の言葉
2023/03/31 17:41
4月の言葉

(おのが)罪過を指摘し過ちを告げてくれる
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
今月は『法句経』の「賢い人」という章から聖句を選びました。若い時には親や先生、先輩から誤りを指摘してもらえることが多くありました。その時には反発するような気持ちにもなりましたが、今となっては感謝の気持ちしかありません。ただ年齢を重ねてくると、そもそも誤りを指摘されることが少なくなってきました。これが成長できた結果であればいいのですが、ただ周囲から諦めで見捨てられているとしたら、実になさけないことです。 さて、上記の句には続きがあり「そのような人(=賢い人)につき従うならば、善いことがあり、悪いことはない」と記されます。ここで言及される賢者とは「真理に通達した人」、つまり「覚った人(=ブッダ)」を指すと考えられます。 人は正しい智慧を備えていないと善悪の判断を適切に下せないことがあります。年代を問わず、誰にとっても誤りを指摘し正しい道へと導いてくれる人は貴重な存在です。ただし、肩書きのある人が必ずしも正しい知識・智慧を持っているとは限りません。その人の振る舞いや話す内容から、信頼に値する人物かどうかは自分で判断をする必要があります。わたしたちは人を見る目を磨いて賢い人と関係を築き、正しい道を歩むべく努力していかなければなりません。 |
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3月の言葉
2023/02/28 17:28
3月の言葉

うるわしく、あでやかに咲く花でも
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
長い冬がそろそろ終わりを告げ、3月になると春本番となってきます。今月の後半ともなれば、色鮮やかな春の花々を目にする機会が増えてくるのではないでしょうか。日本と釈尊が過ごしたインドでは、当然のことながら生息する花の種類は異なるでしょうが、花を愛でる気持ちに大差はないように思います。 これまで何度も紹介してきた『法句経』というお経には、その「花」にちなんだ教えをまとめている箇所があります。今月はその中から教えを選んでみました。 日々、我々は種々雑多な情報に接しています。その中には、有益な情報であったり、教え・教訓となるものがあると思います。みなさんは自分にとってそうした教えや教訓となり得るものを見聞きした時に、行動に移せるでしょうか。頭では有益であることが分かっていても、気分が乗らなかったり、他の欲求の方が勝ってしまい実践できないことは、誰しも経験があろうかと思います。 仏教に限らないかもしれませんが、教えや教訓を見たり・聞いたりしているだけでは、その有益さを実感することは難しいはずです。やはり、その教えや教訓にもとづいて実践することにより、それらの教え・教訓がもつ有益さを経験・体得できるのではないでしょうか。ただ、そうは言ってもすぐに全力で行動へ移せる人は多くないでしょう。そんな時は、少しずつでもいいから、行動へ移していくことを意識すると良いかもしれません。 |
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2月の言葉
2023/01/30 17:13
2月の言葉

修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか
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中村元訳『ブッダ最後の旅』より |
<解説>
今月15日は「涅槃会」(ねはんえ)です。これは釈尊が亡くなられたとされる日に行われる法要です。今回は、その「涅槃」にまつわる有名なエピソードを紹介します。ある時、80歳の釈尊は病にかかります。釈尊はその病からは回復しますが、その釈尊に対して侍者の阿難(アーナンダ)が最後の説法を請いました。それに対して、釈尊が上記のように語りました。 仏教外の宗教においては教えの伝承が限定的・閉鎖的であるのが一般的であったにも拘わらず、釈尊はその常識を打ち破って、自らが覚ったこと(教え)を請う人々みんなへ伝えてきたことをここで阿難へ教えているのです。 釈尊の生涯を通してみると、35歳で覚りを得てから、一度はその教えが難解なため説法することをためらいます。しかし、梵天という神様から説法を求められて以降は、相手の身分や階級を選ぶことなく教えを説きました。それは、釈尊の臨終間際まで続けられます。つまり、先ほど自らが語っていたように、誰にでも説法をし続けていたのです。 もし、釈尊が当時のインドの慣習にしたがって、教えを特定の人のみに伝えていたら、我々まで仏教は来ていなかったかもしれません。我々のような凡夫のために教えを生涯説き続けた釈尊の姿には「慈悲の心」が見て取れると同時に、当時の宗教界の常識にとらわれなかった先進的な考え方に感心するばかりです。 |
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正月の言葉
2022/12/27 17:52
正月の言葉

心は、捉えがたく、軽々とざわめき
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。さて、みなさんはご自身の「心」をどのようにお考えでしょうか。心は自分のものであるから、完全に制御(コントロール)できるものと考える方もおられるのではないでしょうか。 ただ、本当に普通の人間が心というものを完全に制御できているでしょうか。 例えば「欲求に負けて食べることを止めていた物を口にする」ことや「早くしなければならないことがあるのに、気分が乗らないから、行動に移すことができない」といったことは、大抵の人が一度や二度は経験があるのではないでしょうか。もちろん、心を制御できているときはあるでしょうが、常時制御することはかなり困難であると思います。 仏教では、人は「心をおさめること」を怠ってしまうと、欲望によって心が侵食されていくと考えています。ここでは直接言及されていませんが、心をおさめることを実践し制御することで、貪りや怒り、嫉みといった余計な感情(煩悩)を生じさせず、心乱れない状態を作り出せると言われます。すなわち、心穏やかな状態(安楽)がもたらされるのです。 自分も含めて、ほとんどの人は欲求に流されて、心が乱れがちになってしまいます。定期的にでも良いので、心の制御のために自分を律することをしていきたいものです。 |
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12月の言葉
2022/11/30 17:59
12月の言葉

つとめ励むのは不死の境地である
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
仏教では、古くから「つとめ励む」ことを称え、「怠りなまける」ことや「怠惰」なことを諌めてきました。自分を律することができず怠惰な人は、生活をしてはいますが、特段何かをするわけではないと考えられます。その反対に、自分を律することができ「つとめ励む」人は行うべきこと・行うべきでないことを峻別して、自分の使命や務めを果たしていくくと思われます。そして「つとめ励む」ことがその人だけにとどまらず、周囲へも影響を与えていくので「不死の境地」と表現し、その実践者を「不死」と見たのでしょう。当然「怠りなまける」ことは、生きていても周囲へ波及することがほとんどなく、それを「死」、そして怠る人を「死者」のようだと表現しているのです。 先月も紹介しましたが、仏教では我々人間を欲望にとらわれた存在であるとみなしています。そのため、普段何も意識せず(心の修養を)怠りなまけていると、心が欲望に侵食されていきます。逆に(心の修養に)つとめ励んでいれば、余計な感情が心に起こらないので、乱れることがありません。 「心の修養」については、先月の繰り返しになってしまうので内容は省きますが、心を制御(コントロール)するための実践ぐらいに考えてください。 仏教の見方としては、「怠惰でなまける」ことにより得られるものはそれほどなく、「つとめ励む」ことによって心の安寧が得られるのです。それゆえ、「つとめ励む」ことが古くから重視されたのでしょう。 |
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11月の言葉
2022/10/31 18:17
11月の言葉

屋根を粗雑に葺いてある家には
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
今月も『法句経』から選びました。この文章自体は難しいものではありませんが、何を言わんとしているかはいまいち分かりづらいのではないでしょうか。この教えのキーポイントは最後の句の「情欲」だと思います。 情欲とは「貪り」とも訳されますが、ここでは「過剰な欲求」「激しい欲望」とも言い換えられると思います。仏典では「三毒」(さんどく)といって、人間の根源的な煩悩(欲望)を三つあげるのですが、この「情欲」とはそのうちの一つに数えられるものです。 そもそも、仏教では我々人間を欲望にとらわれた存在であるとみなしています。そのため普段何も意識せず「心の修養」を怠っていると、心が欲望に侵食されてくるということです。逆に「心の修養」に勤めていれば、心に余計な感情が起こらないので、乱れることもないのです。 では、「心の修養」とはどのようなことを指しているのでしょうか。ここでは明確にされていませんが、おそらく、心を制御(コントロール)するための瞑想や戒めの遵守などの実践を意味していると思われます。この「心の修養」とは、現在のお寺でみなさんも体験・経験できることなのです。 繰り返しになりますが、人は漫然と過ごしていたのでは貪りなどの煩悩に振り回されます。「心の修養」を行って、心乱れない状況を作り出し、穏やかな生活を送りたいものです。 |
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10月の言葉
2022/09/29 17:16
10月の言葉

実にこの世においては
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
『法句経』の中でも有名なことばの一つです。目にしたり、耳にしたりしたことがある方も多いかもしれません。人間は他人から不利益を被ってしまった場合、その人物へ不満を抱き怨んでしまいます。そして、この不利益が大きければ大きいほど、相手への怨みを募らせて報復行為へと走りがちです。個人レベルでも怨みを捨てることはなかなか難しいですが、個人から規模が大きくなって国家レベルともなると、さらに困難をともなうことが推察されます。 この教えは、まさに「言うは易し行うは難し」と言えるでしょう。 個人であれ国家であれ、悪事の行為者は、それに対する正当な報い(現代で言えば刑罰など)を当然ながら受けるべきです。しかし復讐心という怨みにより相手を極限にまで追い込むことは、それが報復の連鎖を生み、結果として、争いが止まなくなってしまいます。このことは過去の歴史からも明らかです。 個人的にはこの教えだけではなくて、害意ある行動を起こさせない、そして悪い行為をした場合にはその報いは必ず受けることも併せて説き示し、相手を正しい行動へ導いていく必要があると考えています。 いずれにせよ、本当の意味での平穏・平和の実現とは、この教えの意味をしっかりと理解したときなのではないでしょうか。 |
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9月の言葉
2022/08/31 14:36
9月の言葉

ものごとは心にもとづき、心を主とし
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
この教えでは、世界のものごとは、人々の心によって作り出されると説かれています。さらに続けて、清らかな心による行為であれば、その結果である福楽が行為者にもたらされ、それは影がその人のからだから離れないようにつき従うと説明されるのです。では、その反対に「汚れた心」による行為はどのように言われるのでしょうか。上記の教えの直前に説明がなされており、汚れた心による行為は、その結果である苦しみが自らについて回ると言います。 ここから見て取れるのは、ものごとや人の行為というものは、心の有り様によって変わってくるということです。 例えば、怒りや焦りが渦巻いているときには、普段なら気にも留めない他人の行為やものごとに対して、さらにイライラしてしまうことは誰にでも経験があるのではないでしょうか。そのイライラした心にまかせて何かをしてしまうと、自分にとって不快な結果を招きやすいものです。その逆で心穏やかなときであれば、他人に対しても配慮して行動がとれるので、結果として自分に望ましいことが起きやすいと言えるでしょう。 常に清らかな心を維持できるように心がけておく必要があることを気付かせてくれる教えです。 |
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8月の言葉
2022/07/27 17:16
8月の言葉

すべて悪しきことをなさず
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中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』より |
<解説>
ご存知かもしれませんが、日本の仏教諸宗派すべてが重視する経典は無いに等しいと言っても過言ではありません。しかし、それでも諸宗派に共通する教えは何かと問われれば、今月あげている『法句経(ダンマパダ)』の一句になろうかと思います。「悪いことをせず、善いことをして、心を悪に染めないで浄らかにする」という、非常にシンプルとも言える教えです。ここで「悪いこと」や「善いこと」とは何かが問題となりますが、紙幅の関係上、「善いこと」を説明しましょう。 在家・出家において程度の差こそあれ、仏教徒が守るべき基本的な戒めとして、「五戒(ごかい)」があります。その五つとは以下の通りです。 ⒈生きものを殺さないこと ⒉盗みをしないこと ⒊性に関して乱れないこと ⒋嘘をつかないこと ⒌酒を飲まないこと 戒めを守ることは、財産や人間関係、そして品性ある生活に役立つとされるばかりか、普段からの怒りや嫉妬などからも距離をとることができ、心穏やかな生活を送れると説かれます。 最近の報道でも、これら五戒から逸脱する行為がたびたび見受けられます。報道での事件に限らず、五戒を守れないことにより、さまざまな人生の場面で悪影響がでてくることは容易に想像がつくと思います。 いま改めて、生活の基本に五戒を据えてみてはいかがでしょうか。 |
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7月の言葉
2022/06/30 16:02
7月の言葉

完き人の教えには
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中村元訳『ブッダ最後の旅』より |
<解説>
今月1日付けで第7代貫主を拝命した善曉と申します。拙寺興隆のため尽力してまいりますので、何卒倍旧のご支援を賜りますようお願い申し上げます。さて、初めての「今月のことば」となりますが、釈尊の最晩年について描かれた『涅槃経』から選びました。 ある時、釈尊は病にかかってしまいます。その後、その病から回復しますが、釈尊に対して侍者の阿難が最後の説法を請います。「今月のことば」は、釈尊が阿難へ説かれた一部です。 釈尊は「自分は自らの教えを誰にでも、隠すことなく説いてきた」ということを語っています。つまり「教師の握り拳」とは、師匠が教えを握り拳の中に秘めて人に伝えないことを意味します。 当時の仏教を除いた諸宗教においては、特定の人間にしか教えを伝えない方が普通でした。インドでは教えの伝承が限定的・閉鎖的であるのが一般的であったにも拘わらず、釈尊はその常識を打ち破り、自らが覚ったこと(教え)を請う人々へ伝えてきたのです。 釈尊の「慈悲の心」により、その教えがインドから中国・韓国を経て日本にまで伝えられてきました。お寺の基本は、仏(ほとけ)の教えを説くところ・聞くところであると信じています。これからもこの基本から外れることなく取り組んで参りますので、よろしくお願いいたします。 |
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6月の言葉
2022/05/29 17:11
6月の言葉

人は信仰によって激流を渡り
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ブッダの言葉より |
<解説>
人生は「七転び八起き」、この世は「四苦八苦」と言われるように「幸せ」は束の間、直ぐに苦しみや悲しみが襲ってくる。若い時の苦悩は努力で切り開くことが出来るが、徐々に努力だけでは苦悶を取り除くことが出来なくなってくる。如何してもその困窮に耐える「勇気」と「安心感」を心に与えてくれるものが必要である。 その難問に答えてくれるものが「信仰」であり、信仰は何ものにも動じぬ心の平安と勇気を与えてくれる。 お釈迦さまはこのことを「信仰によって激流を渡る」と表現して信仰を持つことの功徳の大きさを示してくださっている。 愚僧自身も観音信仰のお陰で75歳の今日まで何とか激流を渡ってくることが出来た。 信仰によって奇跡が起きるとは言わないが、結果として奇跡が起きたのかと思える不思議な功徳を何度か経験した。そしてそうした経験の積み重ねの中で、切羽詰まった時「観音様にお願いすれば何とかして頂ける」との確信のようなものが生まれ、取り乱す事なく難題に対処する事が出来、結果として大難を小難で逃れることが出来て来た。 心とは不思議なもので、恐怖感や不安感に囚われるとすべてのことに狼狽し、しなくても良い失敗を繰り返し、益々不幸を呼び込んでしまう。その反面、心が冷静で安心感を持ち続けていると、不思議に苦境を脱出する智慧が湧き、深みに陥らずに脱出することが出来る。 信仰とは御仏の功徳を信じること。そして信じれば救われる、と古来から言い伝えられるように正に信仰の力は絶大である。 益々信仰を深め、平安な日々を是非獲得して頂きたい。 |
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5月の言葉
2022/04/29 17:21
5月の言葉

尊敬と謙譲と満足と感謝と
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ブッダの言葉
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<解説>
昨年の11月に本山で住職勤続50年の表彰を頂いた。思い返せば昭和45年の11月、師匠である貫主が壊疽の為寝たきりになり、代務を努めるため副住職を拝命したのが始まりであった。
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4月の言葉
2022/03/31 13:01
4月の言葉

欲望は楽しみ少なく
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ゴータマ・ブッダ上(中村元著)より |
<解説>
今月の言葉はお釈迦様が後年シャカ族のマハーナーマに述懐された時の言葉だそうです。
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3月の言葉
2022/02/27 17:14
3月の言葉

喉の渇いた修行者に
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スリランカの寓話より |
<解説>
スリランカのある村で、町中の人総出で豆の収穫作業をしていた。そこへ1人の修行者が水を求めてやってきた。この修行者の苦しそうな姿を見た1人の少女は気の毒に思い、収穫作業をしている人達が用意していた「水」を村人の許可も無く与えてしまった。
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2月の言葉
2022/01/29 18:25
2月の言葉

衰亡をきたさ無い為の
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ブッダ最後の旅(遊行経)より |
<解説>
お釈迦様は死を迎える準備のため、故郷への帰り支度をしておられる時、阿南尊者に近くにいる弟子を全員集めるように指示され「衰亡しないための7つの教え」をお説きになりました。その7つの教えとは
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正月の言葉
2021/12/25 15:01
正月の言葉

他人の言葉を吟味する
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ジャータカ物語より |
<解説>
新年のお慶びを申し上げます。寅年となりましたが皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
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12月の言葉
2021/11/30 18:38
12月の言葉

羅睺羅よ
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「大智度論」より |
<解説>
羅睺羅(ラーフラ)とはお釈迦様の実子で密行第一、学習第一と讃えられ、釈尊の十大弟子に数えられたた高僧です。
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11月の言葉
2021/10/31 11:20
11月の言葉

山住みの冬の夕べの寂しさを
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良寛の「法華讃」より |
<解説>
皆さんよくご存知の良寛和尚の「法華讃」と言う本が出版されました。この本は禅僧の良寛和尚が法華経を百二首の句でもって讃えられたものだそうです。
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10月の言葉
2021/09/30 16:36
10月の言葉

瞋りを殺して安穏である
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大智度論より |
<解説>
早いもので秋の彼岸も過ぎ、早10月となりました。コロナ感染も収束の兆しが見え、皆さん11月からの自粛解禁を待ち望んでおられることでしょう。でもその期待が裏切られた時、皆さんはどのような行動をとるのでしょう。私達は自分が期待したことが実現できない時、言いようのない瞋り(いかり)に襲われ、言わなくてもよい悪口を口走り、取り返しの付かない行為に走ってしまうことが多々あります。
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9月の言葉
2021/08/31 16:36
9月の言葉

衆生は常に苦悩し
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法華経化城喩品より |
<解説>
はや秋の彼岸を迎える月となりました。もう皆さんもよくご存知のように彼岸とは仏の国、即ち浄仏国土に最も近づく時期という意味で、ご先祖さまのご供養をする時とされていますね。
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